退職してからの日々

退職してから約1か月半。ようやく次の就職先が決まった。

今後の人生をどういう風に作っていきたいか必死に考えた期間だった。でも明確な答えは出ていなくて、これからも考え続けなきゃいけない。

この期間考えたことを頭の整理のために記しておく!

 

退職が決まってすぐにしたことはみっつ。

ひとつは転職サイトと適職カウンセリングをうけて、今後のアドバイスをもらったこと。


適職カウンセリングでは、自分がどうして看護師以外の仕事をしたいと思っているのかっていう想いに向かい合った。

それは、自分らしく働けなくて、善悪の看護の世界で自分の色が出せないことがつらいと感じるから。だからどうするんだってことは、おいおい考えておく。。


ふたつめはこれまで我慢していた旅行にたくさん行くこと。

旅行は、これまで行きたかったけど時間がなくて行けなかったコース日程でたっぷりと。

串本・熊野(ダイビング、熊野古道) 3日間

南アルプス登山・白川郷 5日間

マリーナシティホテルBBQ  2日間

石鎚山登山 2日間

赤穂キャンプ 3日間

京都1人旅 4日間

香住カニ旅館 2日間

滋賀親子旅 2日間

こう並べるとすごくたくさん行ったな…お金もよく使いました(笑)

 

みっつめは友人にたくさん連絡をとったこと。仕事への向き合い方やこれからの方向性が見えなくて、たくさんの人に色んな話を聞きたかった。(自分がこんな未熟じゃダメだと思って取れない子もいた(笑)

友人と仕事の話をすると、仕事自体が楽しいという子はいなかった。むしろ給料や休み、残業などに不満がある割合が高い様子。

話を聞いた友人はみんな同い年で、しかも仲がいい自分と似ている部分がある友人ばかりだから、もっと人脈が欲しいな、知らないうちに自分で友人を選びとってたんだなぁ。もちろん学生時代にいろんな背景の人と知り合って遊んだりもしたけど、その後関係を続けようとしなかったからなぁ、受け身だったし、他に関心があることがたくさんあって・・・って言い訳口調になってしまうのは、自分が欠点だと思ってるからだよね。

 

話は戻って

実は一番仕事に対して前向きに考える言葉をくれたのが彼氏だった。

私は、仕事は遊ぶためにするもの。遊ぶためのお金を稼ぐために働くのであって、あくまで私生活とは分けて考えたいと思ってたけど、彼は仕事と生活は混合して考えるべきだといった。人生のうちほとんどは仕事してるし、そこを有益な時間に使えないのは損をしていると。彼は、仕事をすることで理想の自分に近づけるし、目標とする先輩がいるから学ぶことがたくさんある、と。彼はとても幸せな環境にいると感じた。けど、大切なのは環境だけじゃなくて本人の気持ちの持ちよう。同じ環境にいて、彼から見ても能力だって十分にあるのにどこか怠惰で向上心のない人もいて、とてももったいないと思っているらしい。

私は前職の環境ばかり文句を言っていなかったかな…これからはどんな職場でも輝ける自分でいたい。

退職日前日、激務に撲殺された自我

この半年間は何だったんだろう。別の誰かの人生を歩んでた気がする。

業務をこなして患者の命を守ることだけに必死で、楽しいとはなかなか思えなかった。

しいて言えば、仕事終わりに夕日がきれいに落ちる瞬間を見れたとき、砂浜で波の音を聞いているとき、花火が近くで見れたとき、本当にここにきてよかったと思えた。

少ない休みの中で必死に自分の人生を生きようと遊びに行ったりしたけど、疲れは取れないし、常に仕事のこと、勉強しなくちゃっていう強迫観念にも近い想いに囚われていて。休みの日が本当に貴重だった。

休日は、朝の陽ざしを美しいなと思いながら、野菜と植物に水をやる。雑草や双葉を抜き、知らない間に果実が成長しているのを発見する。めだかの水槽に目をやる。まったく観察していなかったことに反省して、みんな生きて泳いでいることを確認して安堵する。部屋を見渡して、散らかしたものを整理する。たまった洗い物を片付けて、洗濯機を回す。最高の日光をあびる洗濯物が気持ちよさそう、自分も外へ出ようと思う。夕暮れになると今日はどこの浜で夕日を見ようか考えて、自転車を走らせる。恋人の声が聞きたくて電話する。夜は最小の明かりで映画鑑賞する。

 

出勤日は

朝起きて15分で用意して出かける。お腹はすいてないから、コーンフレークとか野菜ジュース、ヨーグルトだけ。朝から1時間の無給前残業をして、始業開始から走り回る。業務に追われて患者とまともに話す時間もない。時間処置に追われて気が付いたら昼休憩の時間。遅れて休憩に入り、空腹なことに気づいて早食いする。午後からは水分をとる時間、トイレに行く時間もなく、定時を迎える。残務の処理。毎日見る患者は違うけど、同じことを繰り返している。夜8、9時まで無給で残る日もあった。

 

対人関係でしんどいこともあった。

指導者はとても情熱的な人だった。看護師という職業に重すぎる誇りと責任をもっていて、反対に看護師という職業を選びながらお金のために働いている人や、自己研鑽しない人、仕事に不満を持つ人を嫌悪していた。理論を学習して根拠をもとに看護師として患者の人生には寄り添えていたけれど、他の人間の人生には寄り添えてなかった。休日は勉強して、休みは3日以上あると仕事したくてうずうずすると自慢げに言っていたけれど、自分の人生を謳歌できていないかわいそうな人だと思ってた。職業人として尊敬すべきことはたくさんあったけれど、押しつけがましいほどの教育と看護観はうんざりで、私は心身ともに疲弊し追い詰められた。指導者の圧で苦しめられることも多かったけれど、一番つらかったことは、自分のダメなところに毎日向き合わなければならなかったこと。いっぱい工夫してみたけど求められていることができなくて、自分に何度もがっかりした。指導者は患者にとってはとてもいい看護師であり、圧倒的な根拠をもとに看護する姿は、学ぶべきことがたくさんあった。(人生の先輩、指導者としては実に劣っていたと思うけれど)

 

 

でも明日退職する身になって、不思議と何も後悔の念はない。むしろさみしい感じ。明後日からは、ひとりで自分で新しい人生を選んでいかなければいけない。自分らしくいられなくてしんどくて濃かったこの半年を、なかったことにして次に進むのかな。

自分の人生は結局自分しか知らない。学生の時から変わらずそばにいてくれる恋人、友人、これからも人生を共有したい同期もいるけど、自分のことは自分が一番よく知っててるはず。なのに、これから何をしたいかについては頭に真っ白になっている自分に驚いている。

この半年、

こんなに勉強したことなかった。

こんなに小説が読めなかったことはなかった。

ニュース、時事ネタなんか追っている余裕はなかった。

美容に気を遣おうと思えなかった。

自分の大切な人の支えになれなかった。

こんなに自分らしくない人生を歩んだことはなかった。でもどうしようもないことなんだ、って諦めたのも初めてだった。

 

「体をしっかり休まないと心のことはかんがえられない」って尊敬する先輩は言った。

今後のことはまた考えよう。おやすみなさい。

パリのキッチンで四角いバゲットを焼きながら [ 中島 たい子 ]

最近、自分は看護師としての未来を全く描けていないことに気が付いた。

どのように仕事に向き合っていくか、じゃなくてどのように仕事に振り回されずにいられるか、しか考えていない。

自分の中で看護師になることを避けては絶対後悔すると確信があるから、進路に悩みはないんだけど。

 

自分の関心事が逸れていて、さすがに不安になる。

 

関心事は旅やインテリア、料理。

1人暮らしの物件や家具の配置、休日の過ごし方について一生懸命考えたり、国内外問わず素敵な暮らしをしている人の動画を見ふけったりしてる。

理想は、窓が多い理想の部屋で環境にやさしい洗濯や洗い物をして、動線の良いキッチンで季節に合った食事をする生活。

 

 

[rakuten:book:19043307:detail]

 

欧米の人々の暮らし方を参考にして、自分の暮らしに取り入れることで、自分が少しでも生きやすくなるんじゃないかと思ってた。でもそれはyes and noだったってことが、この本を読んでわかった。

なぜなら暮らしやすさのコツは定型ではないし、その土地の気候、風土、性格、ライフスタイルに合ったものじゃないと意味がないから。

ヨーロッパは乾燥しているから、乾燥していることに強い。逆に日本は、湿気があるから、湿り気があることにこだわる。その国独自の機構や土壌が、質感や、好み、さらには料理法、保存法までも生み出している。

 

本当はそんな生活を送ることが大事なんじゃなくて、そんな生活を送って

一体どんな人間になりたいのか

っていうところが大事だった。

インテリアをいくら欧米スタイルに変えたって、部屋の中を居心地の良い場所に変えたって、自分が理想としているのはその背景にある。

きっとこの暮らしをする人は、自分に合っていると思える仕事をしていて、ワークライフバランスがとれており、部屋に招く友達も多く、たまに恋人と素敵なディナーを作ったりするんだろうな。家にいても社会とつながっていて自信と慈愛に満ちていて自立した女性なんだろう。そういう人に憧れるから(自分が理想になれていないから)そうしたコンテンツを好んでいるんだろうと思う。

変わりたいと思っていたのに目を背けていた。自分を変えるのは簡単じゃないから、弱いところに向き合いたくないから。

 

(大学生になって、初めて友達と2人で台湾旅行に行ったとき。帰りの飛行機で、次はここの国に行きたいね~とか話していた時。なにかを疑問に思って、どうして旅にでるの?と聞いたことがある。友達は困惑しながら見たい景色とか食べたいものがあるからって言ってたな。私はその時旅行に行くことでそれ以上の何かが得られるんだと感じてた。今考えればそれは自分のものの考え方、人との接し方、生き方だったんだと思う)

 

 

 そんなとき京都のお寺で1時間半たっぷりと写経する機会があった。無心になり自分と対面することで、自分は傲慢で周囲に求めることが多く、そして意外に心が弱いことに気が付いた。少し前までは、大学病院を3年で辞めて、結婚して子育てして訪問看護師とかしながら趣味に時間を費やす、が自分の理想だと信じて疑わなかった。今ははっきり違うと分かる。

 

仕事をじぶんにとって有益なものにするには

「何を目的に、どのような手段でおこなうのか」

が大切だという。どのような、は仕事の内容だったりする。大事なのは「何を」これは個人が自由に持っていていいものだ。

 

素敵な観光スポットなどは比較的他の人に教えたくない自己中心的な私が、人のためにしてあげたいと思うことが漠然と一つある。

それは日本で暮らす人(特に若者)が、日本社会と世界のギャップの根源的な部分を理解して、自分たちでベターな選択ができるような社会にしたい。人との関わり方、教育、仕事、食事、インテリア、なんでもいい。

特に海外旅行が好きな子なんかは、日本ってつまらない。学校に行く意味を感じない。人間関係はもっとフラットであるべき。とか、働き方に疑問を感じることが多いと思う。そういうなんで??って疑問に答えてあげたい。理由は風土上のこと、宗教や歴史が関係していて複雑だと思うけど、多角的に自分が住んでいる地域を、国をみて、少しでも息苦しさを開放してあげたい。

 

自分のしたいことは相変わらず漠然としてるけど、今の気持ちを忘れないようにここに。

「空気」を読んでも従わない:鴻上尚史

 

ようやく本題!

 

 

 

この本を読んで、もやもやがサぁっと晴れていきた。答えはほとんどこの本に。生きずらいと感じている人に本当に薦めたい。

 

結論からいうと、息苦しさの正体は「世間」と「社会」の二面が日本には存在しているから。

 

「世間」は、日本が純粋な農耕民族だったころの村の形態そのもの。掟やルールに従えば自分を守ってくれる存在は、いうなれば海外での一神教みたいなものだった。

やがてそれは時代の変化とともに形を変え、同調圧力を生み出す「空気」などに姿を変えて色濃く残っている。それが、村がなくなったこの社会において日本人の優しい部分と冷たい部分を表面化しているのだと思う。

 

宗教からのアプローチは惜しい線をいってたやん。(笑)

 

 

そしてこの世間が日本ほど強く生きているきている国はない。なぜ農耕を行っていたアジアの国に世間がないのかというと、それは異民族に侵略されてきたから。やはり、何を信仰するのかは、常にその時代の人が生きやすいものを選び取っていたんやね。

 

 

さて、空気、ないし姿を変えた世間は、時と場合によって該当人数や様相を変える。このような相手と戦うのは一筋縄じゃない。しかし世間のもつ5つのルールを知ることで弱点を知ることができる。

 

世間のもつ5つのルール

①年上が偉い

②同じ時間を生きることが大切

③贈り物が大切

④仲間外れを作る

⑤ミステリアス

 

思い返すと、高校時代や大学の部活動、アルバイトの接客業をしていて、くっそぉと思うような場面は①②の要素を強く感じた。

 なんとなく空気が息苦しいなぁと思ったときは、これらの法則が当てはまっているか考えてみる。当てはまっていないときは、少しの勇気で空気を変えることができる可能性があるということ!

 

私自身、アルバイトやグループワークで空気を作ってしまっていたところがあるかもしれない。これらからは気を付けよう。なんでもアリ!って思うぐらいがいいかも。話しやすい人って思われる一因になったらいいな。

 

さて、さんざん日本の嫌なところを話してきたけど、世間、空気から生まれた優しさや美しさもあると思ってる。

 

これは時代遅れ!これは後世に残していくべきもの!って白黒つけていくのはとてもできることじゃないけど、せめて自分の中では筋が通った美しい行動を常に選択していきたいと思ってる💮

 

 

 

日本人らしくいることの息苦しさと誇りについて

海外に旅行へ行って現地の人に、無視されたり騙された経験もあるけど、圧倒的に優しいなと感じることが多かった。日本から来たというと、「日本人は優しいから好きだよ」といわれることが何度もあったけど、その度にあなたの国の人の方がよっぽど優しいし生きやすいよ。と思ってた。

 

私たち日本人は、他人に○○らしさを求めてしまいがちだと思う。

 

店員らしさ。

子供らしさ。女性らしさ。年齢相応。

 

現代にも強く名残を残している「お客様は神様」精神。

好きな服をなかなか着れない。私自身服にこだわりは全くないつもりだったけど、海外旅行に行ったときに好んで着ていた服は、日本では恥ずかしいと思って着れなかった。肌の露出や季節感、年齢や立場にあった服装をしなくてはと思った。人の目をとても気にしていることに、私自身驚いた。

海外のドラマや映画、動画をみていると、日本では自分の子どもにも子どもらしさを求めているんだなぁと強く感じた。それはドラマの子役の役回りや物語の設定を比べるだけで歴然だ。

 

日本のように資本主義を経て民主主義になった国は多くあるのに、どうして日本ではリベラルの考え方がいまだに染みついていないんだろう。

 

 

 

私は日本で幸せに生活を送りたいから、居心地よく人と接するためにこの原因が何か知る必要がある。

 

 

ヒンドゥー教を信仰するインドネシア・バリで、裏がない人々の優しさにふれてから、これは宗教の問題じゃないかと考えて、宗教の勉強をしてみた。

 

 

宗教と思想の関係は深い。というか、インド仏教の変遷を見ていたら、その土地の人間が持つ思想によって、宗教を変容させているように感じた。

 

インドでは人は迷惑をかけるものだから人の迷惑を許しなさい。

 

中国では家族を重んじる。

 

 

日本は稲作の文化のせいで和を重んじる。

 

日本は国民全員が信仰する強力な宗教がない珍しい国だ。宣教師がキリスト教を伝来したとき、この土地には根付かない。と思ったらしい。八百万の神がいて草木山川人もみなともに成仏するこの国では、一神教は受け入れがたかった。キリスト教が受け入れられなかった原因には時の政権の国策も大きく関わっているんだけど。一方で仏教は権力者が信仰することもあったが、そもそも本来のインド仏教では草花は非情(心なきもの)で転生したりしない。

 

輪廻せず消滅することが人生最大の幸福と考えていたインド仏教が、祖先を敬う儒教が浸透していた中国へ行くと、墓参りやお盆の霊迎えを始めた。インドでは罪でも至親容認の中国へ行けばお咎めなし、なんてことも。

西洋文化も似たようなもので、ユダヤ教キリスト教カトリックプロテスタント様々な信仰が派生した。その影響は大きく、翼をはえた天使しかり天女も、人に優れた能力を許さない国日本へ行けば、翼はなく羽衣になったり。

 

これらの変遷をみると、宗教は人間による人間のためものだと思わざるを得ない。

 中国ではご立派な儒教があるけど、民間には悪鬼や呪いなんかがでてくるおっかない道教が浸透していた。同じ土地に住んでいても階級によって信仰するものが違っていたなんて、ほんとに宗教は自由であるな。と感じた。

 

 さて、宗教によってその人が何を大事にしているのかどのような生き方が理想とされているのかがよく分かった。しかし、肝心のところが分からない。日本人は元来多神教なのだ。一神教に比べて強制力が弱いと思う。この土地や空気が強く求める○○らしさは別のところからきているようだ。

 

 

こんな感じでわだかまりを抱えて月日が過ぎて、今回ようやく一冊の本からその答えを得ることができた!!次回!

 

おまけだけど、宗教に敏感になった私は、旅行をより楽し方法を身に着けたと思う!

北海道・阿寒湖。アイヌは本島の人間が信仰していた八百万の神とは少し違うカムイを信仰している。信仰の違いによるものの考え方がその土地に染みついているように感じられた。

 山岳信仰。山は先祖を弔うところであるから、山神の祭りと祖霊がつながりやすい。山へ行けば仏に会えるという救い。それは中国でも同じだったそう。山で鳥居やお地蔵さまを見かけたとき一礼して感謝の気持ちを伝えようと思った。不思議な力をくれてありがとうって。

 

 

 

人生ビジョンの力 あなたのビジョンが見つかる、叶う5つの実践ワーク 作者:中澤裕子・特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ[ 五百田達成 ]

 

しばらく忙しくしていましたが、研究の方向性や就活の目標も定まってきた今日この頃。

 

今回も備忘録残してく。

最初に紹介するのはこの本

 

 

 

 

ガードナーの引用文が、特に女子には刺さるんじゃないかな

一般的に、並外れて創造的な人々は自分の使命の追及に没頭するあまり、ほかのすべて、とりわけ個人としての人生の可能性を犠牲にしていた。

 要するに人には限界があり、バランスの取れた豊かな人生を築くには、自分に合ったキャリアに加え、支えてくれる最愛の人々が欠かせない。成功を極めるには、常軌を逸したような仕事ぶりが必要かもしれないが、それではバランスの取れた充実した人生を送れないのだ(ガードナー) 

 

やっぱりそうよね?

私は仕事に生きたいわけじゃないし、家庭だけに生きたいわけでもない。人によって違うこのバランスをさぐっていくんだと思う。

でも… 

なんやかんやと日常を送ることだけでいっぱいになると、小さな問題が起きても忙しくて小さなままに流してしまう。逃れられないような大きな問題になってやっと気づく。

 

筆者の言う通り、私もこういう事態を恐れてる。看護師になったら最初の数年は看護だけで頭がいっぱいになると思う。中堅になってちょっと落ち着いたときには、自分が何を目指していたのか分からなくなっていそう。

 

姉を見ててもそう思った。この会社は4年目で絶対やめるって言ってたのに、もうその気はないみたい。

中堅になると、給料も休みも人間関係も仕事もうまく回りだすころだから、その時期に転職するのはなかなか勇気と理由がいると思う。まあ姉は賢いから自分にとってその時の最善を選んでるんだろうけど、私はそういうのできないんだよね、たぶん。部活とか、それとなく続けちゃうタイプ

 

「3年経ったら絶対転職する」つもりでいるよ。でも、看護は奥の深い世界だから、そっちの沼に行ってしまう可能性もあるなぁって思ったり。その時の最善を選べたらいいんだけどね、何を目指していたのか分からなくなってたら最善もなにも分からないと思うから。

 

で、どうしたらいいのかっていうと

夢やなりたい姿は絵や写真にして毎日見ると、潜在意識レベルで認識される

 らしいよ!

絵とか創作大好きだから、暇ができたらやってみようっと

 

 

次に紹介するのはこの本

 

私人間関係を築く/繋ぎとめるのがすっごく苦手だと自覚してる。もともとの性格も関係してると思ってたけど、この本をよんでたらギクリとすることばかり。

 

 

心が覚めるというのは、結局自分に執着しすぎた結果起きてしまう一種の現代病。敵は相手ではなく自分の中にいるものなのです。

要するに自分が正しいと、自分の行動や考え方は正当化するために、言い訳をしたり口実を見つけたり安心材料を見つけたりするのです。

我々がすべきなのは人を見破る練習よりも、バイアスをかけずに人を見る練習。

大事なことは、「この人と距離を取ろうとしているな」「心冷めてきてるな」と自覚すること。次に見て見ぬふりをせずじゃあどうしたらいいんだろうと問題意識を持って少しでも行動に移してみること。

偏見なしで人を見るというのはいわばスキルのようなもので、訓練(日々の意識)次第で誰でも出来るようになること。

 

この本を読んでとても反省することがあった。それは、よく知りもしない人を、記憶の中の誰かと重ね合わせてたこと。自覚はあったけど、もし自分がそうやって見られてたら嫌よね。でもそんな潜在意識のようなものをどう変えていったらいいのか。

 

例えば苦手なタイプの人がいるとき。

接する回数を増やして心のバリアをを取り除いていき、その人のことを理解していく。そしてもう一つは、「自分はその人のことが好きだ」と言葉にする、心の中で思ってみる。笑顔で話す。

 

一日一回は声をかける、挨拶をする、ありがとうと言う、といった些細なアクションは、実は免れない効果がある。自己開示と言って自らプライベートの話をすることは、お互いの距離を縮める効果がある。

うまく付き合っていくためのちょうどいい距離感を模索していくべき

 

例えばくだらない話を聞くとき。

「あーくだらねえ」と思いながら聞いていると、つい「あーはいはい」「うんうん」という相槌をしてしまいます。そこで、

「あーくだらねえ、どうやったらこんな話ができるんだ」「この人の人生に何があって、こんな面白くなさが出てくるんだ」と見方を変えてみる。

 

 例えば気乗りのしない誘いがあったとき。

とりあえず一旦行ってみる。 つまらなかったら帰って来ればいいや、と気楽に行ってみて、気の合う人が一人でもいればその人と話をしてみる。何も空気を読んで面白い話をする必要はなくて、ただ話を聞きに行くだけでもいい。笑って飲んでるだけでも、その中で意外と楽しめる新たな自分を見つける。

それでも気乗りしない時は「変な人に会いに行く」「話のネタを盗みに行く」「社会勉強」と言った別の目的をつける。「情報交換会」「ワイン会」「誰々に誘われたから仕方なく」「おしゃれしたいから」でも何でもいい。変なプレッシャーをかからないようにする

 

考え方ひとつで本当に行動/人間関係が変わりそうです!

人の気分を害さなきゃいいよねくらいの気楽なスタンスでコミュニケーションを心がける

 

次に新しいコミュニティに入るときは、今までみたいに人に壁を作って失敗したくない!!

 

 

壁を作らないといえば。女性文化のお酌についても考えておくといいよね。

そもそもお酌とは相手への敬意の表れです。等価交換とまではいかないまでも、相手に敬意を持ってもらえるような立ち居振る舞いがすることで、男女のギャップも年齢のギャップも埋まっていきます。

前回紹介した作者も、お酌に関しては「減るもんじゃないし、やったらいいんじゃない?」ってスタンスだった。私も普段からお世話になっていて、慕ってる人だったら全然するね。

でも、大学生になりたての未成年の時、よく知らない偉そうなおじさんに「酒を注げ」って部下である立場の人から言われたときは、すっごく腹が立った。😡

私は「女性らしさは武器」って考えないと、慕ってもいない人にお酌はしたくないなぁ。

 

 

 

以下、備忘録として引用文を貼り付け

 

年齢の離れた人、価値観の違う人、心の温度が違う人、いろんな人に合わせた自分を身につけていくことで、人はどんどん生きやすくなっていきます。

 これはどうなんだろう、自分らしさに敏感な私からすると、人によって自分を使い分けないようにと気を付けていたけど。

 

精神的に成熟した人は、「えっ何それ教えてくださいよ」と、相手は年下だろうがなんだろうが、関係なく言える腰の低さがある。

これは本当にそう思う。 先生以外に大人と接する機会は、バイトと大学の部活しかなかったけど、今思えば人間関係について学ばせてもらってたんだなぁ。私もこっち側の人間になりたい。先輩って立場になるとちょっと格好つけちゃう面もあるから。

 

カンドー(感情移入)は脳の中のミラーニューロンという神経作用が働いている。一方オーケストラで感じる感動は脳のうち大脳新皮質という機能が働いている。

 

カンドーは比較的シンプルに感情移入(共感)のことですが、感動とはその人の知識や記憶を総動員して感じる力(感性)などが大きく関わっている。

 

 

今日は引用の嵐でした。

 

er-かならず勝ち組女子になる☆モテ就活!!【電子書籍】[ 氷室ゆの ]

 

最近忙しいけど、スケジュール管理するようになってから時間の隙間が見えてきた。

 

今日はこの本

 

 

正直、タイトルを見て、ロジックがない本かなぁと思ってた。

しかし、冒頭からなかなかのキレ具合。

「願えば、必ずかなう、という女性をターゲットにしたような女性向けエッセンスは、私からしたら詭弁」

と筆者が言い切っていてホレタ。

 

 

この本を読みわって考え方が変わったことは、女子は自由っていうこと。

結婚・出産・育児にはキャリアを中断されるって考えをしてたけど、逆に男子に比べて、選択肢がいっぱいあるという考え方。

 

女子であるあなたの人生は、キャリアは、就活は、「女子として女子らしくアレンジするんだ」 

 

 

そんな自由な女子のためのキャリアデザインは、

とにかく自分の好きな方向に進んでいく。理性というより、本能が知ってる方向。とにかく自分の心が、まっすぐに向かう方を選択していけば、だいたい理想の場所にたどり着けるケースは多い。

でも、ただやみくもにそのときの気分で好きな方向へ向かっちゃうのは危険です。年を重ねていったときに矛盾が出てきちゃうから。だから漠然とした状態でいいから、、、ゴールはなんとなく考えておくこと

 

ギチギチに具体的な期限を決めておくより、かえって漠然としてるほうが便利。

 

仕事と恋愛のこともアドバイスがあった!

まだ働いてないからよく分からないけど、遠距離を選んだ以上、自分もこういうことで悩んだりするのかなーなんて思ったり。

仕事か恋かで悩んだら、とりあえず悩みは仕事だけに絞る。

仕事はほぼすべてが自分次第でどうにでもなる。でも、恋は相手があってのことなので、自分の意志でどうにかなるものとは違う。だからしょせん、恋愛ごときで悩むこと自体が贅沢なんですよ。

つまりそれが「仕事も恋も、両方選ぶ」っていうこと。

 

仕事も恋も、両方えらびたーい!

 

欠点を売りにしよう!

欠点を売りにするのはうそをつくことでもないし、「あいつ、何勘違いしてんの」とかうしろ指をさされることでもない。試されるのは、勇気だけ。

 

自分用就活スーツとか、お酌文化の話もなかなか面白かった。自分に自信がなくなった時に読むと、元気が出そうな本。

 

 

ちょっと文章量が少ないけど、今日はここまでに。

今年度はすることが多くて、心が焦ってる気がする。自身の外殻・キャリア・恋愛をかたどるのに、とてつもなく大切な一年になる。優先順位と目標を見失わないように毎日大切に過ごしたいな、