人生ビジョンの力 あなたのビジョンが見つかる、叶う5つの実践ワーク 作者:中澤裕子・特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ[ 五百田達成 ]

 

しばらく忙しくしていましたが、研究の方向性や就活の目標も定まってきた今日この頃。

 

今回も備忘録残してく。

最初に紹介するのはこの本

 

 

 

 

ガードナーの引用文が、特に女子には刺さるんじゃないかな

一般的に、並外れて創造的な人々は自分の使命の追及に没頭するあまり、ほかのすべて、とりわけ個人としての人生の可能性を犠牲にしていた。

 要するに人には限界があり、バランスの取れた豊かな人生を築くには、自分に合ったキャリアに加え、支えてくれる最愛の人々が欠かせない。成功を極めるには、常軌を逸したような仕事ぶりが必要かもしれないが、それではバランスの取れた充実した人生を送れないのだ(ガードナー) 

 

やっぱりそうよね?

私は仕事に生きたいわけじゃないし、家庭だけに生きたいわけでもない。人によって違うこのバランスをさぐっていくんだと思う。

でも… 

なんやかんやと日常を送ることだけでいっぱいになると、小さな問題が起きても忙しくて小さなままに流してしまう。逃れられないような大きな問題になってやっと気づく。

 

筆者の言う通り、私もこういう事態を恐れてる。看護師になったら最初の数年は看護だけで頭がいっぱいになると思う。中堅になってちょっと落ち着いたときには、自分が何を目指していたのか分からなくなっていそう。

 

姉を見ててもそう思った。この会社は4年目で絶対やめるって言ってたのに、もうその気はないみたい。

中堅になると、給料も休みも人間関係も仕事もうまく回りだすころだから、その時期に転職するのはなかなか勇気と理由がいると思う。まあ姉は賢いから自分にとってその時の最善を選んでるんだろうけど、私はそういうのできないんだよね、たぶん。部活とか、それとなく続けちゃうタイプ

 

「3年経ったら絶対転職する」つもりでいるよ。でも、看護は奥の深い世界だから、そっちの沼に行ってしまう可能性もあるなぁって思ったり。その時の最善を選べたらいいんだけどね、何を目指していたのか分からなくなってたら最善もなにも分からないと思うから。

 

で、どうしたらいいのかっていうと

夢やなりたい姿は絵や写真にして毎日見ると、潜在意識レベルで認識される

 らしいよ!

絵とか創作大好きだから、暇ができたらやってみようっと

 

 

次に紹介するのはこの本

 

私人間関係を築く/繋ぎとめるのがすっごく苦手だと自覚してる。もともとの性格も関係してると思ってたけど、この本をよんでたらギクリとすることばかり。

 

 

心が覚めるというのは、結局自分に執着しすぎた結果起きてしまう一種の現代病。敵は相手ではなく自分の中にいるものなのです。

要するに自分が正しいと、自分の行動や考え方は正当化するために、言い訳をしたり口実を見つけたり安心材料を見つけたりするのです。

我々がすべきなのは人を見破る練習よりも、バイアスをかけずに人を見る練習。

大事なことは、「この人と距離を取ろうとしているな」「心冷めてきてるな」と自覚すること。次に見て見ぬふりをせずじゃあどうしたらいいんだろうと問題意識を持って少しでも行動に移してみること。

偏見なしで人を見るというのはいわばスキルのようなもので、訓練(日々の意識)次第で誰でも出来るようになること。

 

この本を読んでとても反省することがあった。それは、よく知りもしない人を、記憶の中の誰かと重ね合わせてたこと。自覚はあったけど、もし自分がそうやって見られてたら嫌よね。でもそんな潜在意識のようなものをどう変えていったらいいのか。

 

例えば苦手なタイプの人がいるとき。

接する回数を増やして心のバリアをを取り除いていき、その人のことを理解していく。そしてもう一つは、「自分はその人のことが好きだ」と言葉にする、心の中で思ってみる。笑顔で話す。

 

一日一回は声をかける、挨拶をする、ありがとうと言う、といった些細なアクションは、実は免れない効果がある。自己開示と言って自らプライベートの話をすることは、お互いの距離を縮める効果がある。

うまく付き合っていくためのちょうどいい距離感を模索していくべき

 

例えばくだらない話を聞くとき。

「あーくだらねえ」と思いながら聞いていると、つい「あーはいはい」「うんうん」という相槌をしてしまいます。そこで、

「あーくだらねえ、どうやったらこんな話ができるんだ」「この人の人生に何があって、こんな面白くなさが出てくるんだ」と見方を変えてみる。

 

 例えば気乗りのしない誘いがあったとき。

とりあえず一旦行ってみる。 つまらなかったら帰って来ればいいや、と気楽に行ってみて、気の合う人が一人でもいればその人と話をしてみる。何も空気を読んで面白い話をする必要はなくて、ただ話を聞きに行くだけでもいい。笑って飲んでるだけでも、その中で意外と楽しめる新たな自分を見つける。

それでも気乗りしない時は「変な人に会いに行く」「話のネタを盗みに行く」「社会勉強」と言った別の目的をつける。「情報交換会」「ワイン会」「誰々に誘われたから仕方なく」「おしゃれしたいから」でも何でもいい。変なプレッシャーをかからないようにする

 

考え方ひとつで本当に行動/人間関係が変わりそうです!

人の気分を害さなきゃいいよねくらいの気楽なスタンスでコミュニケーションを心がける

 

次に新しいコミュニティに入るときは、今までみたいに人に壁を作って失敗したくない!!

 

 

壁を作らないといえば。女性文化のお酌についても考えておくといいよね。

そもそもお酌とは相手への敬意の表れです。等価交換とまではいかないまでも、相手に敬意を持ってもらえるような立ち居振る舞いがすることで、男女のギャップも年齢のギャップも埋まっていきます。

前回紹介した作者も、お酌に関しては「減るもんじゃないし、やったらいいんじゃない?」ってスタンスだった。私も普段からお世話になっていて、慕ってる人だったら全然するね。

でも、大学生になりたての未成年の時、よく知らない偉そうなおじさんに「酒を注げ」って部下である立場の人から言われたときは、すっごく腹が立った。😡

私は「女性らしさは武器」って考えないと、慕ってもいない人にお酌はしたくないなぁ。

 

 

 

以下、備忘録として引用文を貼り付け

 

年齢の離れた人、価値観の違う人、心の温度が違う人、いろんな人に合わせた自分を身につけていくことで、人はどんどん生きやすくなっていきます。

 これはどうなんだろう、自分らしさに敏感な私からすると、人によって自分を使い分けないようにと気を付けていたけど。

 

精神的に成熟した人は、「えっ何それ教えてくださいよ」と、相手は年下だろうがなんだろうが、関係なく言える腰の低さがある。

これは本当にそう思う。 先生以外に大人と接する機会は、バイトと大学の部活しかなかったけど、今思えば人間関係について学ばせてもらってたんだなぁ。私もこっち側の人間になりたい。先輩って立場になるとちょっと格好つけちゃう面もあるから。

 

カンドー(感情移入)は脳の中のミラーニューロンという神経作用が働いている。一方オーケストラで感じる感動は脳のうち大脳新皮質という機能が働いている。

 

カンドーは比較的シンプルに感情移入(共感)のことですが、感動とはその人の知識や記憶を総動員して感じる力(感性)などが大きく関わっている。

 

 

今日は引用の嵐でした。