哲学×緩和ケア、星と月

哲学×緩和ケアの授業とこの本を通して感じたことを備忘録。

 

 

時間について

ニーチェの「永遠回帰の思想」に見えるように、哲学と宗教が生まれた経緯や目指すものは、もともと同じだったんじゃないかなと思った。

あらゆる苦しみは終わってくれというがすべての喜びは永遠を欲する。今この瞬間は終わってほしくないという時間を見つけてみなさいよ。すべてのこうあったを私がこう欲したに作り変える(youtube

 

「過去は新しく、未来はなつかしく」

過去の価値は未来の自分が決める

 

生命観/死生観
様々な遺伝子セットをもつ個体は、多様性を作って主として生き延びる策の代償として自死のしくみを獲得した。

全ての物はエントロピー増大の法則にのっとって存在している。

人間が情報処理化社会に対応するには変化が必要だと考えるが、そもそもこの法則上に存在していることを無視して進化はできない。そして残念なことに情報化社会はこの相互作用の大原則を見えづらくさせてしまう。

 

もし法則を突き破って進化をとげるとするなら、

それは太古の時代、植物しか存在していなかったときに植物が生き残るためにMgからFeを作り出して酸素を生み出す生物を作り出したとき相当の年月とパワーがいるんじゃないの?

あるいは少なくとも、大きな地震のため森から草原に出てきた人間が生き残るために出産の頻度を上げ、集団養育するようになった程度の革命が必要?

 

 

そんなのは無理な話だから、やっぱり自然界の法則にのっ取って変化しないといけない。すべての物が共存できるようになれば人間も共繁していける。

次世代へバトンを渡してそうやってこの社会をまとめ上げてきた。それが宗教や哲学を通した教育。

 

古代ギリシャで哲学が発展した。海洋国家、多様国家だから争いが絶えなかった。戦争続きの中、みんなが平和に生きられるように哲学者たちがルールとして人権をつくる。そして2,300年前に民主主義社会が誕生(youtube

 

やがて哲学は宗教に道を譲った。哲学は幸せになるために必ずしも必要でないから。

って前読んだ本(ムーギーキムだったかな)に書いてた。

でも実は今の平和な世の中は、哲学者たちが作った倫理の上で成り立っていたんだ!

 

宗教は心の文明の始まり。共食などでまとまっていた集団が大きくなると、それをまとめる物語が必要になった。人間は、自分の命が有限だと知っている。死や孤独への恐怖からどこかに救いや慰めを求めた。西洋は人格をもった神を創り、東洋は宇宙のかけらとして永遠性を希求するようになった。神道は直接自然を崇拝する珍しい宗教。

 

もしかしたら神道が生まれた日本には、諸外国に比べて強力な物語が必要なかったのかもしれない。島国の恩恵じゃないのかな、とアイヌ文化を学んでからそう思うようになった。もちろん遅かれ早かれ天皇制や仏教などの物語を必要とされた時代がきたんだけど。

 

医療

もともと、私たちの心の働きは、自然との接触によって五感でとらえた感覚を意識によって情報化することでしたが、心を含めた環境の都市化は、情報化よりも情報処理を優先する方向に向かっている。現代の医療業界を彷彿とさせる

 

哲学:意味や価値の本質を問う(真・善・美)

実学:自然科学、医学、物理学

それぞれの解釈を持ち寄って事実を作っている。事実を共通了解している。

事実が成り立つためには意味の世界があって、意味の世界を問う哲学はあらゆる科学にとってもベースになる

まさしく事実なるものはなく、あるのは解釈のみである

 

意味や価値の問い方ひとつで、何をエビデンスとするかが全く変わってくる。よい医療とは問うことなしにエビデンスエビデンス垂らしめられない(youtube

 

哲学をもった事実学エビデンスとして用いないと意味がないということ。

 

私は事実学からアプローチしていたつもりだけど、たしかにそれは哲学を内包していたな~

 

私は医療現場の葛藤、渇望など、本来はもっとシンプルだった当たり前のことを、少し科学の目を通して見てみたい。自分の原体験にも沿うから。

それがいずれ誰かを救う力になったらいいなと思ってる。方法もわからないけど。

 

 

 

 

 

余談だけど

 

目に見えるものすごいスピードと質量の潮の満ち引きは、目に見えない月からの強い引力を感じた。

ないからあるを見つけたのは、仏教的で哲学的だよね。

星をみていて、自分の存在のちっぽけさに気が付いた。細胞から原子にいたるまで、この宇宙の一員なんだって感じた。

 

こう学んだのはだいぶ大人になってからだったけど、それまでずっと海や夜空を眺めるのが好きだったのは、それらのゆらぎが心地いいと感じてたからなんだよね。共鳴してたってこと?自分を生み出したものに、本能的に美しさを感じられて、さらに知識を付けるだけで生き方のヒント、相互作用について美しさをもって学べただなんて。

ほんとにため息が出ちゃう。。

 

学びについて。

「教える」とは、当たり前だと思っていたことが、そうではなく、不思議だと思っていたことが実は当たり前のことだったということを、ある種の美的感動をもって理解させることであり、同時に「学ぶ」ということは、そのことを深く感動をもって胸に刻み込むこと

新人看護師のとき、人の命は無価値で平等と思いながら仕事していたけど、もっと素晴らしいことだったんだ。

みんな宇宙起源をもとに発展してきた生命体。今もそこに頼りながら活かされているんだなぁって

 

佐治先生激押しのリベラルアート、何歳からでも学ぶべきだと感じる。

おもしろいのが、どんなアプローチからでも同じところにたどり着くんじゃないかなってところ。私は天体だったけど、哲学も宗教も、音楽、数学、物理、詞、、どの分野でもたどり着くのは宇宙の起源。。いいすぎ?(笑)

 

私の同居人も、必死に先生やってる。がんばれ~

 

もっともっとインプットして自分の頭の中の地図をすっきり歩けるようになって、自分の言葉で考えを書けるようになりたい!

なんでこんな医療システムなの⁉とか

みんな死に方/生き方考えてないの?とか

自然の摂理に反してる~って道徳的にも反してる~

でも倫理的にオッケーならいいのか?

私の98歳のおじいちゃん、本人の意識もしっかりあって金も十分、家族のサポートもあるのに、なんかかわいそうな状況になってる。それって誰のせいなのよ

延命を大義に振りかざす人が一定数いる?

お医者さんはほんとのところどう思ってるんだろね~金儲け主義とか噂聞くけどあながち否定しきれないのも診療報酬制度、国民皆保険のこわいところ…

病気直し工場になってる根本の原因はそれぞれの意識だけじゃないよね。

一緒に愚痴る人はいるけど、悩んでくれる人も答えてくれる人もいない。それもなんで?(笑)

みんな同じこと考えてるんじゃないのかなぁ?

この星で生きる理由-過去は新しく、未来は懐かしく/佐治晴夫

来月から1人でニュージーランドに行く。1年間は帰ってこないつもり。

急にこのタイミングで行くべきだと感じた。

 

なんでこうなったのか正しく言語化できないから、ここに吐きだして俯瞰しようと思う。

 

きっかけは奄美黄島。サーフィンして、こんな風に日常的に自然と向き合えたら幸せだな~と思った。

 

人間の脳は変動するものに敏感に反応する。原子はゆらぎながら分子を作っている、自然界には静止状態がなく、常にゆらぐことによって形や音、においなどを変化するものとして敏感に感知している。

自然界に多くみられるゆらぎはf分の1ゆらぎという。私たちの脳はこの刺激をうけると、脳自身のゆらぎと呼応して心地よい、美しいと感じることが最近の研究で分かってきた。

その不確実性があるゆえに、すべてが存在できるし、生命体も存在できる。

自然風の強弱のゆらぎ、星のまたたき、宇宙から降り注ぐ放射線強度のゆらぎ、そして私たちがリラックスしているときの呼吸数や心拍数のゆらぎが、同じ数学的性質をもっているということも、私自身、風から生まれたこの宇宙の一部分であることの証であるといってもよいでしょう。

流れ星が見えなくても、星は動いているってわからなくても好き。都会の明かりより好き。

風が四方から吹くのも好き。髪を下ろして横から下からぐちゃぐちゃにしてもらう。谷底から木々を抜けて吹き上がる風もかっこいい。

波の打ち寄せる音も好き。きれいな砂浜にさらさら打ち寄せるのより、空気とか含んで岩にぶつかりながらたっぷんたっぷんいってテトラポットの隙間を流れていく方が好き。

安静時脈拍を実測しているとなぜか落ち着く。(不整脈は落ち着かないけど)

1秒に1回、60BMP。体の中に音楽流れてる~と思う

 

 

 

 

 

旅行から帰ってしばらくすると、よしやすさんの「留学行ってみるとか?」っていう軽い言葉がなぜか頭によみがえってきた。

 

学生時代に考え抜いた末、わたしは海外は旅行で行きたいって考えが軸としてあったから、可能性のない選択肢だったんだけど、なぜかニュージーランドにすごく惹かれた。ニュージーランドだけに。

そのあと1人でもんもんと考え続けた。したいこと、しなきゃいけないこと、日本においていかなきゃいかないこと。説明会にも行ったりした。SNSで発信している人や周りの子のように、勉強のため、就職のため、遊ぶため、友達作りのための渡航ではなく、ただ生活するために行きたかった。

2か月考えた末、覚悟が決まった。というより、行かない選択肢が消えた。

生物はその環境に適合するように、自らを変えていかない限り、生きつづけることができない。一方、心を持っている生き物にとっては、環境に慣れ親しむことが、種としての進化にブレーキをかけてしまうことになるから、時折環境を変えて身も心もリフレッシュすることが必要。私たちがふっと旅に出たくなることの理由。

心に向けての旅も大切。好きなことと向き合う時間の中で体験できる心の旅。新しい自分との出会いに繋がり、元気がわいてくる。

外と内に向かう旅に出ることが、豊かな人生への第一歩

 

そして今、仕事、友達、恋人、家族、全てが渡航にベストなタイミングを作り出した。これには、周囲の協力と理解と愛があったことを、私はずっと忘れちゃいけない。

 

調べれば調べるほどニュージーランドは私にぴったりの国だと思う。

なにが?

 

ワイン、チーズがおいしい

ランドスケープがきれい

私が嫌いな日本の特徴が少ない

移民が仕事を得やすい

旅人が多い

個人の自由がある

人が少ない

自分に向き合える

 

 

 

私は、自分と地球に向き合いたいんだね

今の環境は、とても恵まれてて愛にあふれてる。だけどそれを改めて自分で選びたいんだね。

 

今はコンステレーションユング理論)が見えていない。

コンステレーションが見えてきたとき、あなたの心の中にある小さなゆらぎが周囲の状況を変え、全体がきっと明るいほうへ動き出すでしょう

(それぞれの立場でばらばらに動いているように見える、全体としてまとまった意味を持っていることが見えてくると、自分の思い込みから背負ってきた抑圧が軽減して、そこからの気持ちの変化がコンステレーションを変えるエネルギーになり、今置かれている状況の改善につながる可能性が出てくる)

 

自分は自然の分身。人間の体も細胞の塊。あなたはあなた以外のものから作られている。それがあなたの正体。だからいくら自分の中に自分を探しても見つからない。人はひとりで自己を確立できない。相手があって初めて、あなたという存在が確立される。これは物質の相互依存として宇宙が構成されていることの結果であって、科学的なものの見方。すべてのものとのかかわりによって、あなたの物語、人生が作られる。

 

 

 

 

 

 

そのためには仲間を見つけないといけない。他者との関りから自分を探す。

 

仲間なくしての学びはない。学びは他社との共感があって、初めて深く脳の中に定着するから。自分とは何かを映し出してくれるのは、目の前にいる他者、友人です。

現存するすべての物は同じ根源をもつものであり、互いに共存関係にある。しかし、全てが同じだったら、何か異変が起こった場合、一挙に滅亡する可能性があり、同じ種であってもそれぞれが異なる個性が必要。その一方で共存関係にもあるから、他社の目を気にすることの潜在的理由の一つ。アイデンティティの確立のためには他者を気にするエネルギーを新しい自分づくりのヒントに転換するのが早道。自分をよりどころにして周囲と調和して生きる

 

 

 

 

 

本との出会いってなんて神秘的なんだろう

良かった、そう感じられる学と経済力、環境があって。

本当に教育は平等であってほしい

 

 

女性と男性の生物学上での歴史の違いも面白かった。

 

 

それと並行してもうひとつ目標がある。

自分のしたい仕事についてもっともっと考えを深めること。次回につづく

 

 

 

奄美大島

何か書き出しさないと、今の感情を正面から見れない

 

時系列は気にせず、ここ数日のことを羅列しようと思う

 

奄美大島、何か感じるものがあるでしょと自分に思わせる島だった

 

桃源郷、美しくて魅力的で恐ろしい

ハワイと考え方のベースは似てるとよしやすさんは言っていたけど、私は全く違うものを感じた。

mikuさんはハワイが心のふるさとに感じてるらしいけど、彼女のそれがまりにとって奄美大島だと思う。

 

いまある生活を全部捨てても、ここにいると幸せだろうなと思えた。島の男の人も魅力的だった。よしやすさん、いなさん思慮深くてサバイバビリティがあって自然を愛していて物知り。心が穏やかな波に満たされてるみたいに、必要なものは自分で分かっている感じ。

 

でも故郷と呼べるのはその人たちの特権で、たとえ移住しても彼らのようにはなれないんだろうなと思った。移住三世からといわれているらしいけど、それは島の人だけじゃなくて移住者もずっとそういう思いを抱えるんだろうな

 

コンプレックスなんて感じまいと思っていたとしても、あの自然と歴史ある文化を代々享受しているものとは、同じように感じたりできない。

 

なら私のやりかたで。

なんだろ、観光地、2拠点目、息抜き場所、パワーをもらえる場所、どれもしっくりこない。訪問者の立場にしては自然を愛しすぎてるし、学ばせてもらうことが多すぎる。

変革者、改革者ぐらいの器で、島に与えるものがなにかないと、居住者としてはそこに居られない。

 

よしやすさんは地元が奄美ってことにすごく誇りと自信をもってたな。

あと彼の魅力ってなんだろ。

訪問者に心を開くところ、自分から他の土地に飛び込むところ。でも自分の居場所はしっかりと吟味している。息子にも東京じゃなくてハワイを選ばせた、と言ってた。

自分に合う水をよく分かっている。

あとはやっぱり、あの美しい自然に恐れを抱いていないことかな。海を見る目が、、その目で見つめられるんだもん。目だ。ドキッとするぐらいきれいなんだ。

 

あと、私自身を見てくれる感じ。過去も経験も知らないから海の上でのわたしを見るしかなかったってことなのかもしれないけど。

サーフィンに対する意欲をかってくれた、それに応えてくれたのが本当にうれしい。

素直に受け取ることができれば、嬉しい言葉なんだなと思ったのが

「これからが楽しみ」

 

これから、、どうしていくんだろ。何を目指して頑張っていくのかな

 

 

 

 

同じところには旅行に行ったことがない私が、ここにはじきまた来るだろうなと思った。

 

移り気なのは、好奇心旺盛もあるんだろうけど自分に合う水を探し求めてたんだと思う。

幻想を抱きすぎるとしんどくなるのかなとか、前述したようにいろいろ頭をよぎったけど。

ののかちゃんをみてたらそんな心配は杞憂だったんだろうな、と思う。

あの土地で同い年の女の子に出会ったこと、一期一会だけではない予感がしてたんだけど、もしかしたらこういうことかもしれない。

 

今、頭を整理したかった理由が分かった。

自分に合う水。

そしてどういう人間になりたいか。

いるべき場所、するべきことは何なのか。

 

ここ数年は、意図的に心の赴くまましたいこと、興味のあることに手を出そうと思って私生活が充実してきた。自分の好きなことと嫌いなことが分かってきた。

そろそろ次のステップなのかもしれない。今までと同じように、さらにそれ以上に物事の本質を見極めるために取り組む。

そのうえで言語化して優先順位をたて始める。

私生活と仕事。分けては考えられないけどやり方は同じはず。

祖母祖父や父、母やよしやすさん、大家の中村さん、看護部長、、色んな人のパターンは知ってるはず。

「大丈夫、あなたはできる。私がそう見込んだんだから大丈夫。毎回すべてうまくいくわけじゃないから、大丈夫」

彼の言葉は本当にすっと入ってくる。認知症患者と心を通わせた経験がある、と言ってたからきっとそれが活きているんだろう。仕事と私生活は違うけど、どちらもすべて目に出てくる。自分という人格をかたどるもととなる。

人生のかじ取りはいつも初めてだから、用心深くなるし失敗する。でも時期を見逃しちゃいけない。どこかの憧れの誰かにならなくてもいい、なっちゃいけない。今までの自分を作ってきたカケラを手放さないように、磨き上げていかなくちゃならない。大丈夫、立つのが遅れて波に取り残されたあの感覚を思い出して。疾走あるのみ。チャレンジあるのみ。

 

奄美大島はこころの故郷でも何でもないけど、幻想を抱かせてくれる島。

今度は自然の美しい恐ろしさに向き合えるように。

没頭力 「なんかつまらない」を解決する技術/吉田尚記

生命の見方が変わって、いい面もあれば悪い面もある。

 

いい面では、最近は働く意味とか生きる意味とか、自分の役割とかあまり深く考えずに患者と業務に集中できるようになった。死に方よりも生き方が大切だと感じるし、寝たきり患者の観察も前よりしっかりとできている気がする。全てはケアに生かせていないかもしれないけど、たまに自分でやった!と思うこともある。

 

悪い面では、死に慣れてしまったこと。初めの頃は死に直面したら自分が鬱々となってしまっていたけれど、今はあまり何も感じなくなってしまった。家族が患者に泣きながら呼びかける様子を見ると、少しだけ感情浮き出てきて、こんなんじゃ患者家族にとってどう見えてるんだろうと不安になったりもする。

 

仕事は仕事、休みは休みと割り切っていたら、看護師ロボットになってしまう。定期的に自分の感情をモニタリングしないとな。

そこで休日2日目の自分の感情をすぐに取り出せるようにしておきたい。

 

休日1日目は身の回りのことを整理したり遊びに行ったり、娯楽に時間を使う。その時を楽しむだけ。

だけど必ず2日目になると将来のために時間を使いたくなる。

だけど3日目にはもう仕事。実際は理想を夢見るだけで終わってしまっている。

 

2日目マインドを取り出す方法の前に、自分にとって将来のための時間とは何なのか。この本を参考にして考えてみたい。

 

 

この本の作者にとって、人生の目標は幸せという胡散臭いものではなく、いつも上機嫌であるということ。

生きるため、繫栄するという目的を失った現代では、この考えが心理を突いていてマッチしていると思う。世間一般の幸せは、種族として役割を果たしてもらうための偶像にしか過ぎないと思うから。現に、予防医学の目指すところは、ワクワクして目が覚めて、夜満ち足りて眠ると定義されている。

 

またポジティブ心理学では、人間が幸福を感じるための要素は快楽、意味、没頭とされている。快楽は得やすい、意味は見つけやすい。没頭は…没頭はフロー

フローとは目標が明確で迅速なフィードバックがあり、そしてスキルとチャレンジのバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。そのかわり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じること。(チクセントミハイ

 

確かに何かに集中しているときは時間がたつのが早く、終わってから充足感に満ちている。でも、ただ没頭するだけじゃ将来のための時間とは言えない。そこでフローの特徴を見てみる。

 

ゴールが明確で自分の中で完成図が書けるかどうか。自分のスキルの4%難しいことにチャレンジする時がフローに入りやすい=フローチャンネル。また、責任を持つほうが楽しいという特徴も持つ。

 

フローについて正しくとらえれていないけど、フローの状態に入るということ自体がスキルアップに繋がっているのかもしれないと思った。過去の良い例が受験勉強。ダイレクトに試験と大学生活に直結するので意味も含まれており充実していた。

 

 

 

両親を見ていると、フローの達人だなと思う。

 

早朝から専門的なニュースや英会話ラジオを聞いている父。興味の幅が広く、ゴリラから宇宙まで、父にとって理解できない本はないんじゃないかと思うぐらい多読熟読。最近は翻訳の勉強から始まり、有料英会話レッスンもしているみたい。さらに1年留学の願書まで提出している。。それでも決して一人の殻に閉じこもらず天性の人間好きだからずるい。

 

母は興味を持ったことはレッスン教室でプロに教わり、5年は続けるという信念の持ち主。免許や資格取得に挑戦することが、ただのゴールではなくて趣味を続ける意味や目標だと考えていることが素晴らしいと思う。プロに習うことで回り道せずにいられるし、宿題という名目で強制的にフローする状態を作り出している。私の理想はここ。2日目マインドなくとも自分にとって意味のあるフローの状態に入ること。

 

母が習っていることは、一見主婦の遊びごとに見えるかもしれないけれど、本格的に没頭することで練度を高め、自分の生活を間違いなく豊かにしている。籐かご作りやペイント、中国語、ギター、仏像、パン作り、生け花、フラダンス、薬膳、少林寺など枚挙にいとまがない。

 

母のその点は祖母と似ている。80歳を超えてからも多才、多趣味に拍車がかかっている祖母。レッスンでライバルを仕立て上げては闘争心を燃やし自宅で習字の練習をしたり、本を読んで勉強している。言わずもがな、2人ともとても生き生きしており時間が足りないというぐらい充実した毎日を送っている。

 

 

 

どの世界にも奥深さと面白さがある。変にカチコチの頭でFPの勉強しとかなきゃとか、プログラミンの勉強しなきゃとか考えないほうがいい。時代遅れのFPとかプログラミングだけできるおばあちゃんは嫌だ。(笑)自分の好きなことにエネルギーを注いだ方が将来素敵な女性になれるというのは祖母や母を見て学んだこと。

 

 

 

なんでもチャレンジしてみよう!母も、合わない/できないと判断して手を引いたものもあったけど、いつだって最高の状態でチャレンジしていた。今の私はせいぜい本を読むだけ。もっとお金と労力を使ってチャレンジしよう!

 

 

将来のための時間とは、仕事でいい成績を残すための時間ではない。よりよい転職を目指すためのものでもあってはいけない。

母や祖母のような女性になるために、現在の自分のために時間を使うこと。筆者は上機嫌で生きることが大切で何かを達成しなくてもいいと言っているが、今の私は達成しないと得られない快楽を渇望している。

 

 

今、看護現場で働いていて矛盾や疑問、興味があることが沸々と湧いている。今まで、自分と似た思考本を読んで納得のいく答えや正解を探してきたけど、

 

”自分がするしかない”

フランス料理を日本の家庭料理に昇華した志摩さんを突き動かした言葉。彼女ほど情熱的にはなれないが、彼女みたいに風に吹かれながらも自分の道を切り開いていきたい。

 

 

 

以下、今やってみたいことを書き残しておく。

・検潮儀をつかって天体観測

・流星群の観察

・死期の人間の自然的変化と看護

・がん以外の終末期、緩和ケアと医療体制、制度

・パン作り

・オーバーナイトイーツ

・雲、夕日、天気を読む

 

 

希望は感情の一種で、絶望の後にしか現れない。人間は絶望しているときに高い目標を掲げがちで、これが希望という感情につながりやすい。希望を感じた後の、具体的な行動プランをもってないと絶望状態から希望を感じた状態で脳が気持ちよくなってしまってそこで終わりという「偽りの希望」症候群に陥りやすい

注意…

 

 

「あれ、私なんのために働いてるんだっけ?」 と思ったら読む 最高の生き方 [ ムーギー・キム ]

[rakuten:book:19534291:detail]

本書の内容に入る前に大前提を押さえておきたい。

生きる意味を問い出したのは、生活に余裕と余剰時間が生じ、寿命格段に伸びるようになったから。

 

人間は生きる意味を考えるようにはそもそもできていないのに、生の意義を考えるようになった。

人は自分がいきる意味の源泉や目的を、本能的な生理欲求の充足に求めたり、生きる意義を考え始めた頃から、宗教的霊感や哲学的理解に求めたり、時にはナショナリズムプロパガンタ)で暴走してきた。

 

生きる意味なんて考える必要がないということ!ただ、考えてしまったからには、幸せに進むために納得するまで考えたい!

 

 

まず、わたしが現存しているこの社会は、承認欲求が幸福の基準になっている。ここ数十年で承認欲求が顕著に人間を内側から支配してきていると強く感じる。特に若者に。

わたしの承認欲求なんて米粒みたいなものだけど、それでも、幸福の価値観の主軸がバグっているこの社会で生きてると、本来の人間としての本当の本能的な幸福とか人生のゴールがわからなくなっちゃう。

 

 

 

そもそも、なぜ人は社会に期待される価値観の軸を鵜吞みにした、強烈な社会貢献欲求と承認欲求を胸に抱くように発展したのか。

自分の絶対的価値に自信がなく社会的相対評価に限定的に育てられた。社会的に評価されがちな一部の価値観だけで人の序列を決められてきたから。

 

他人の役に立ちたいという欲求は、後天的に「種族のため。人のために役に立たない人間は、価値がない」という強迫観念に似た思い込みが植え付けられているから。若しくは、人間という種族が反映するために、そのような利他的な行動様式をもつ個体が生き残ったからなのかもしれない。

 

つまり種族全体に貢献することが自分の価値の源泉であると信じている。

そして種族全体に貢献することは、客観的物差しで測られるようになっているため承認欲求に結び付くと。 

 

価値観とは人によって異なる上、他人に思い込まされ人工的に創造されるものが多い。けれどそもそも価値は主観的なもの。

 

この偽物でありふれた価値観から本物を探し出すのは難しい。

そこでこの本では①霊長類②宗教③哲学④心理学⑤脳科学から行動原理や認知能力の限界を理解し、その行動を変えるために重要なコンセプトを理解することを目的としている。

 

 

①霊長類

人間の一夫一妻制や食べ物の分配は大規模集住を可能にするための後天的で社会的な知恵。

共同体は五感を通じて信頼関係を構築してきた→コミュニケーションが変化して少し離れても大丈夫になってしまっ

人間は他人の子供も育てるような本能に進化している。→コミュニティに属しているという帰属意識がそなコミュニティへの共感に繋がる

 

"家族および共同体とつながり五感を使ったコミュニティケーションをとり共感し合うことが生き物としての人間の幸福にとって非常に重要。"

 

②宗教

闘争本能という強い本能を制御して安定的な集団をつくるために愛や慈悲を強調した宗教が必要だった。つまり宗教は、時代遅れの反応を後天的な脳の書き換えで制御しようという発明。

そんな宗教でも、長年の時の洗礼を経て人類の普遍的叡智が詰まっているものもある

もう一つ宗教は死という謎や恐怖に対して答えを持っていることが重要。

 

”人間らしい生き方と社会を団結させるための叡智のストックが詰まっており、人に死生観や共同体感覚を与えている。

 

 ちなみに、中国のように古来の孔子思想など文明大革命で壊されてしまい宗教や哲学を学ぶ機会が少なくなった。さらに社会、産業後続変革を短期間で経験するため社会の価値観が急速に変化したため何が大切な価値観か見失う人が多い。。

 

③哲学

”幸福か真実か。

哲学を学ぶと浅はかなわかったつもりから離れることができる。本物のことを知ると偽物に頼らなくなる。ただし本物を知ったからといって別にこうふくではない。

永遠の絶対価値を求めるギリシャ哲学的、ないしキリスト教的価値観が反映されている。哲学はヨーロッパのもので東洋のモノは思想。幸福には真実ではなく空想と思い込みが必要だから、ギリシャ哲学は宗教に道を譲ったのかもしれない

 

④心理学

自分が好きでやってることが、結果的には他者に貢献しているような形が望ましい。

脳科学

集団に帰属しないと生きていけなかったため、人間は善悪を度外視して、集団の秩序を守ったり、利益になることを追求するように進化してきた。

 

人間の従いたい欲求は恐るべきで支配されたい側は七割。さらに人から承認してもらった時に放出される報酬系刺激のドーパミンはセックス時より強力。

 

”集団心理と本能的習性を自由意志と勘違いせず、帰属意識アイデンティティをコントロールすることが大切。

 

 

⇒以下筆者の考察引用⇒

自分と何を結びつけるかという自分の脳内ブランディング次第で自分のアイデンティティ、価値観、能力、実績まで変わる。事実を変えなくても、認識を操作する

自由意志で生きているように見えて単に訓練された通り承認欲求を満たすだけの人生かも。押し付けられた帰属意識は空想の集団間の争いな巻き込まれてしまう。

個人的に重視する多様な価値に気づき、その価値観に紐づく具体的行動を選択してこそ生きる価値に納得できる人生を送れる。=バリューワーカーズ

個人的価値があり、社会的価値があるところが自分の居場所。

すでに実現できている自己を祝福してその幸福に感謝するのも人生の価値を実感する上で大切。

帰属先からの承認欲求よりも自分にとって大切な人との愛情を大切に。

 

「自分が大切にしているもののために全力で生きる。目の前の仕事にモチベーションを見出すためにはその行動が自分が重要視している価値観に紐づくような仕事と人生を、自分で作っていく必要がある。そしてその仕事がどうこねくり回しても自分の価値観と反している場合は、その仕事は自分のためのものではない。そして、自分の自由意志と思っているものが単なる内集団バイアスと帰属先からの承認欲求に過ぎないのではと自問することも重要。」

 

「仮に誰に承認してもらわなくても取り組みたい課題が生じ、その解決が自分の存在論的な生きがいにつながる。それはその頭の中で自分が重視する価値観や原体験に由来していることが多い。そうした原体験に由来する価値の追求は、宗教や哲学、真善美と同じく人生に意味を付加するための価値追求に昇華されていく。価値は主観的なもの。多様な価値を認めてこそ、価値を見出すために狙う的が増えるので人生の価値が上がるのは当然の理。」

 

生き方への悩みを感じないほぼ唯一の例外が、めちゃくちゃ面白いと感じていることに没頭して遊んでいる「真の遊び人」。遊びに没頭している状態がそのまま仕事になっているという人が、その分野における最強の仕事人。。

 

 

また行き詰った時にここに戻って思考のリセットができるようにたくさん引用した。身に沁みつくように心に留めておきたいな。

最強の仕事人を目指すぞ!

 

最後の講義 完全版 福岡伸一

 

地球の起源や生命の誕生について改めて学んで、より一層命に価値はないと思うようになった。というより

命は無価値という思想を正当化するための情報を収集した

という方が正しいんだと思う。

 

 

こんな考えをもって看護を行うのは、患者にとって不誠実なんじゃないかとも思ったけど、私にとってはきっと必要な思想だったはず。そこでこういう考えに至るまでの体験を整理してみる。

 

 

新しい病院に来てからというもの寝たきり老人を何人もあの世へ送った。使命や役割、楽しみをなくしただ生存だけさせられている人の看護を行った。一つの命が同じ価値だと信じてきたけど、実際は行われていることは違う。おむつ交換一つとっても、もし余命が同じであっても赤ちゃんと寝たきり老人では、ケアにかける量や思いが違うじゃないか。

 

これは病院に限ったことじゃなくて政治、戦争やコロナ禍でも顕著に表れてる。

 

そもそもなんで私たちは命を等しく扱うことが正しいと思うのか。理性に支配された人間よりも本能で生きる動物は、命に優劣をつけて種族として生き残っているように思える。

 

 

理想と信じていた終末期からほど遠い現実を目の当たりにして、看護師としての自分の存在意義など考えるようになってしまった。そこで人の命は無価値という意味で平等という仮説が必要になったんだと思う。

 

 

 

 

 

そして、面白いことにこの宗教的/哲学的な扉を開いてから世界の見え方が少し変わった。

 

 

社会人としてとか人間としてとか、あらゆる規範や道徳が意味のないものに思えた。だって私は地球のひとつの生命体としてただ代謝して存在してるにすぎないじゃないって。

 

つまり、時間を有意義に過ごすとか、生産性のあることをするとか、どうでもいい。どんな生き方をしようとどんな思想を持ってようと構わない。ただこの自分勝手に生きていいという考えの先には、人殺しが許されるという世界線になるからあんまり考えすぎるのはやめた。

 

 

 

社会が決めた価値や幸福から解放された私は、再度自分の心に従って生きたいと思うようになった。でも今度は、何を自分が本当に求めているのか分からなくなってしまった。

 

好きなことは十分わかってる。

家族、恋人と日々を共有して愛を確認し合うこと。幸せに暮らしてもらうこと。そのために自分も努力すること。

あとは地球の鼓動を感じること。風、雨、嵐、花や木、波の音、人間とは違う進化をとげた生き物、山や海の世界、、

おいしいものを食べること。食べたことない外国の食べ物や飲み物、ずっと変わらない味。

 

こんなにたくさん幸せを感じれる物事が身近にあふれているのに、だからこそこの世界に退屈する時が来るのかなって不安になってしまう。こんな風に考えちゃうのは数年日本の外に出れてないし新しい魅力的な人にも出会えてないからだと思う。

これら当たり前の幸福に、もし魅力を感じれなくなっちゃったらって考えるとこわい。心落ち着く場所でも、発見した時は刺激的でしょ?その刺激に対していつか感動しなくならないかな。

 

 

そんな時

こういった私の一連の思考をなぞるように整理してくれる本と出合った。次回

 

 

働いて生きる

まさに怒涛の一年。

自分と向き合う一年だった。


社会に出て、自分の人生に自分が責任を負わなければいけなくなった。

仕事との付き合い方がうまくいかなくて自分を見失いそうになったり、生きる意味について考えなきゃいけなくなるほど社会の波に揉まれた。

それでも会って励まし合える友人や、遠くてもお互いを思い合える家族、そばにいてくれる恋人がいてくれて自分らしさを失わずにいれた。



社会の一因になって人の生死に合って思った思ったのは、人間って高尚なこと並べてるけどほんとにちっぽけで、ただの細胞の塊だって実感した。

ただ、それだけ他の動物より自由に生き様をえらべるということ

(死に様は選びにくくなってるけど、それはまたの話に)


隣の他人がどう生きようと、何十億の生命群であるヒトとしてはどうでもいいこと。本能のままに生きたらいい。動物としてのヒトは、ただ存在しているだけで生命は尊くない。


でも自分には幸せになってほしい大切な人がいる。その人を想うと心が穏やかになる人がいる。だから、心があるっていう考え方を軸に持ちたい。ヒトだけでなく、生きている全ての命を尊いと考えて感謝し保護し恩恵を受ける事がすごく理にかなってるし心の持つ本能にも即してると思う。


ヒトだけが特別じゃない。人間が知恵をつけるより古い時代から生命のサイクルにただよう他の動植物の方が、色んなことを知ってる。


生きてる意味とか働く意味なんてほんっとに人それぞれ。自分が都合いい理由を勝手に思っておけばいい。


だから、自分がどう生きたいかをきちんと考えていかないと国家や権力、組織や他人のいいように人生が決められてしまう。


人間には心がある。仮にそれがただの代謝で脳からの信号であったとしても、その反応に意味を持たせて解釈する行為は本物。


でもその解釈は人それぞれ。だからみんな違うし優劣もない。感じる対象が広く、深くあってほしいと思う。人生を豊かにするために必要だから。

そのために自分は生きていたい。人のためとかではなく、自分の心に即して行動や思考を選択していきたい。

知見を広めて新しい人に出会って知らない土地や空気、食べ物を食べて新しい文化に触れて。音楽や舞台、自然や匂い灯りに心揺らぎ心を豊かに、人生を豊かにしたい。

働くことのベースは人それぞれだし、自分も数年後には大きな目的が変わってると思う。

ひとの娘で社会の一因、誰かの他人で友達、恋人である今は、自分の心を豊かにする時間もお金も手にしてる。たくさんのことを学んで知っていきたい。