働いて生きる

まさに怒涛の一年。

自分と向き合う一年だった。


社会に出て、自分の人生に自分が責任を負わなければいけなくなった。

仕事との付き合い方がうまくいかなくて自分を見失いそうになったり、生きる意味について考えなきゃいけなくなるほど社会の波に揉まれた。

それでも会って励まし合える友人や、遠くてもお互いを思い合える家族、そばにいてくれる恋人がいてくれて自分らしさを失わずにいれた。



社会の一因になって人の生死に合って思った思ったのは、人間って高尚なこと並べてるけどほんとにちっぽけで、ただの細胞の塊だって実感した。

ただ、それだけ他の動物より自由に生き様をえらべるということ

(死に様は選びにくくなってるけど、それはまたの話に)


隣の他人がどう生きようと、何十億の生命群であるヒトとしてはどうでもいいこと。本能のままに生きたらいい。動物としてのヒトは、ただ存在しているだけで生命は尊くない。


でも自分には幸せになってほしい大切な人がいる。その人を想うと心が穏やかになる人がいる。だから、心があるっていう考え方を軸に持ちたい。ヒトだけでなく、生きている全ての命を尊いと考えて感謝し保護し恩恵を受ける事がすごく理にかなってるし心の持つ本能にも即してると思う。


ヒトだけが特別じゃない。人間が知恵をつけるより古い時代から生命のサイクルにただよう他の動植物の方が、色んなことを知ってる。


生きてる意味とか働く意味なんてほんっとに人それぞれ。自分が都合いい理由を勝手に思っておけばいい。


だから、自分がどう生きたいかをきちんと考えていかないと国家や権力、組織や他人のいいように人生が決められてしまう。


人間には心がある。仮にそれがただの代謝で脳からの信号であったとしても、その反応に意味を持たせて解釈する行為は本物。


でもその解釈は人それぞれ。だからみんな違うし優劣もない。感じる対象が広く、深くあってほしいと思う。人生を豊かにするために必要だから。

そのために自分は生きていたい。人のためとかではなく、自分の心に即して行動や思考を選択していきたい。

知見を広めて新しい人に出会って知らない土地や空気、食べ物を食べて新しい文化に触れて。音楽や舞台、自然や匂い灯りに心揺らぎ心を豊かに、人生を豊かにしたい。

働くことのベースは人それぞれだし、自分も数年後には大きな目的が変わってると思う。

ひとの娘で社会の一因、誰かの他人で友達、恋人である今は、自分の心を豊かにする時間もお金も手にしてる。たくさんのことを学んで知っていきたい。